こんにちは。@ryorasppです。
僕はトランペット吹きの一面もあります。
ですので、今回は僕のトランペットのお話です。
まずは経歴から
僕のトランペットの歴史
小学時代
小学四年生より、学校のブラスバンドのクラブでトランペットをはじめる。
正確には、トランペットの種類はコルネットで、コルネットを吹いてました。
↑コルネットについてはこちら
この頃は、高いソが出ればいい方で、それぐらいはなんとかできてました。
音程とかピッチを気にせず、自由気ままに吹いていたのがこの時期です。
中学時代
中学校に入り、部活は吹奏楽部にしました。
しかしその吹奏楽部は、自分が入る前の年に支部大会まで進むという、大変すごいところでした。
ルールや挨拶に厳しく、音楽に対しても大変厳しいところで、僕はそこで良い経験をしました。
そこで中学二年生の時に、XO RV-GBSという楽器を購入しました。
この楽器はとても柔らかい音がする楽器で僕は大好きでしたが、
ファンファーレのような、ハキハキした音楽には向かないため不満も持ってました。。
高校時代
ここはとても厳しいというところではなく、ゆるゆるでしたが、
その中でもしっかりやろうという面もあり、自分はすぐその環境に慣れましたが、
トランペット長年やってるの僕だけで、いきなりファースト((1st)一番トランペット)を吹くという、ちょっと経験の浅い自分には大変な日々でした。
そして、高校一年生の冬春頃から体調を崩し、よく分からない病気で、学校に通えなくなり不登校になる。
高校一年生の時、
団体での、東尾張地区大会では、銀賞
アンサンブルコンテストの金管八重奏では、銅賞
中日新聞社の第23回管楽器個人・重奏コンテスト東尾張地区大会でのソロトランペットでは、銀賞
という僕個人の責任でこの成績だったんだと今痛感します。
思いっきり挫折をした時でした。
(高校時代皆さん僕の下手な演奏でご迷惑おかけしました。。)
そのこともありながらも、自分を高めようとコンクールで支部レベルのアマチュアのウィンドオーケストラ入団し、そこでの活動は少し続いた。
しかし、病気がひどくなっていき、とうとうずっと家にいるしかできない状態になってしまいました。
市民吹奏楽団にも少し入る
それから1年から2年後、ちょっと回復してきたかなというところで、社会に慣れるために、コンクールバンドではない、市民のアマチュア吹奏楽団で、体を慣らそうとする。
そして、学校にも行こうと思い、2013年秋より、甲陽音楽学院名古屋校へといく。
甲陽音楽学院名古屋校
いきなり毎日は無理なので、2013年秋より、週二回三回の一般併修科に入りました。
そこで、ビックバンドでやるようなジャズを学ぶ、
・メイナード・ファーガソン
・Doc Severinsen
・Tower of Power
・ジャズ・スタンダード
これらの楽曲をやらせてもらいながら、学ばせていただき、有意義な時間を過ごさせていただき、大変感謝しておりますが、
閉校前に同じアンサンブルの方に自分個人の責任で、大変ご迷惑をおかけしまったことをここで謝らせていただきます。
申し訳ありませんでした。
そして、
2015年3月をもって学校が閉校してしまい、
途中で卒業となってしまいました。
甲陽音楽学院名古屋校が閉校!? 学院全体の改組の一環で平成27年3月で閉校のようです。 | ryo.nagoya
甲陽音楽学院時代に購入した楽器
Brasspire 923LT
フリューゲルホルン J.Michel FG-550S
マイケルのフリューゲルホルン シルバーを購入(J.Michael FG-550S) | ryo.nagoya
これからトランペットに関して頑張っていきたいこと
- 高い高いラまで余裕で鳴らせる(HighG)
- 自分で吹きながらも、コードを判別できる、コード進行をイメージできる
- 一つのフレーズを覚えたらそれを全調移調できる
- 歌や口笛のように、自由に吹ける
これらができるようになるまで、ひたすら頑張っていきたいです。
また、アマチュアビッグバンドで、ビッグバンドでやるようなジャズを経験して、
いつかは、本場アメリカで、ジャズの経験も積むのが夢の夢ですが目標です。